2004年11月18日、当時42歳の小川博が埼玉県上尾市内で強盗殺人事件を起こしました。
小川博は甲子園に3回出場、青山学院大学に進学してドラフト2位でロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)入り。
1988年のときには両リーグ最多204奪三振を記録して、オールスターゲームにも出場。
そんな小川博ですが多額の借金をし、利子3万円の返済のために勤め先の家政婦を殺害しました。
前橋工業高校ではエースで、甲子園のアイドルとも呼ばれた小川博。
イケメンの小川博は2度の結婚をして子供もいるということですが、現在、嫁と子供はどうしているのでしょうか。
そこで今回の記事では「小川博の嫁と子供は?現在と生い立ち、残酷な事件の概要とは」として、小川博についてまとめました。
小川博の嫁と子供は?
小川博受刑者は2回結婚しています。
1人目は女優のような美人女性で、プロ入り1年目の1985年5月に出会いました。
嫁の名前はふみ子さんで、小川博の2歳年上の姉さん女房。
翌年1986年4月に結婚しましたが、群馬の親には内緒で結婚話を進めていたとのこと。
小川博は挙式しないことを望みましたが、群馬の両親の希望で1987年に結婚式を挙げました。
1987年に最初の子供である長男が誕生。
しかし小川博は浮気や金遣いがひどかったため、間もなく離婚しました。
小川博は1994年に二度目の結婚。
すでに現役投手としては引退しており、ロッテのトレーニングコーチをしていました。
再婚した妻との間には子供は2人。
2人の子供がいつ生まれたのか、性別については公表されていません。
ロッテ球団から解雇された小川博は、2003年4月に自己破産。
さいたま市の賃貸マンションに引っ越しして暮らし始めました。
2004年12月21日、小川博は強盗殺人を犯して逮捕。
その後、2人目の妻とは2005年1月に離婚しました。
小川博の現在は
小川博の現在は、千葉刑務所に収監されて服役中です。
2006年2月23日に東京最高裁判所で、無期懲役が確定しています。
小川博は「無期懲役は重すぎる」と量刑不当として、東京高等裁判所へ控訴。
しかし東京高等裁判所は小川川の控訴を棄却して、無期懲役が決定しました。
無期懲役は刑期が10年すぎれば仮釈放可能とのこと。
一般的には30年を超えてから仮釈放される場合が多く、小川博受刑者の仮釈放は74歳以降になると思われます。
小川博と家族(元妻)の交流はなく、子供に手紙を書いて渡すことも拒絶されているとのこと。
群馬の養父はすでに他界しているため、小川博が頼るのは養母しかいないようです。
こちらは、小川博が群馬の養母にあてた手紙の一部です。
「身勝手でわがままばかりの人生だった。」
「周りの人に良いかっこばかり見せていた。」
「どこかでプライドを捨て切れなかった。」
「これで(前妻の子を含め)3人の子供を捨てたことになってしまいました。私はバカな男です。母さん、長生きしてこのバカな男が帰るのを待っていて下さいますか。」
「もう母さんしか(手紙を)書く相手がいなくなりました。博より」
小川博の生い立ち
小川博は生後1歳のときに、子供のいない家庭の養子として迎えられて育ちました。
養父は大工で養母は清掃員、二人とも小川博を溺愛したとのこと。
高校時代には前橋工業高校ではエース、甲子園に3回出場。
とてもイケメンで全国からファンレターが届くほど大人気だったといいます。
青山学院大学に進学した後、ドラフト2位としてロッテに入団しました。
小川博は最多奪三振のタイトルを獲得して、年棒は2倍に跳ね上がりました。
このとき高級外車を購入するなど、豪遊生活をしていたとのこと。
しかしこのときが最高年俸2200魔ねんで、それ以降の年俸は下がり続けます。
1992年に現役引退して、その後はコートして就任。
現役時代の華やかな生活を続けるために、借金をして豪遊していたようです。
2002年、小川博はロッテの球団職員を解雇されました。
一部の情報では、小川博の金銭トラブルが原因で解雇されたと言われています。
小川博の借金は2000万円で、借金取りが球団事務所に押し掛けていったこともあるとのこと。
球団職員時代に選手と賭博して、選手から借金していたこともあったといわれています。
小川博は金にだらしがない性格
小川博は金にだらしがない性格だったといいます。
両親に預けていた入団時の契約金はすべて借金で消え、さらに両親が貯めていた貯金も借金返済になくなったといいます。
それでも母親に金の無心をする小川博。
逮捕後、小川博の母は「もうお金がないと突き放してしまった」と苦しい胸の内を吐露しています。
母にお金を借りに来たのは事件の約2年前のこと。
自己破産するまで金を使い、その後も金遣いが直らなかったのは残念なことです。
また事件の数カ月前には、ロッテ二軍で盗難事件が相次いでいました。
ロレックスの腕時計やクレジットカードが盗難。
小川博が2軍施設の浦和グランドに入るところが目撃されています。
選手は被害届を出していないので犯人は特定されていませんが、小川博ではないかと噂されています。
小川博の強盗殺人の概要
2004年11月18日午後6時30分ごろ、勤め先だった産廃処理会社の会長宅を訪れました。
お金を借りようと考えていましたが、会長は不在。
住み込みの家政婦、67歳女性が対応しました。
小川博は家政婦女性に3万円を借りようと土下座しますが、断られます。
逆上した小川博は女性を突き飛ばし、女性はその衝撃で気絶しました。
小川博は会長宅の居間から現金175万円を奪い、犯行を隠ぺいするため気絶した家政婦女性を連れ去れります。
車に女性を乗せて、3km離れた旧荒川に女性を投げ入れて水死させました。
事件2日後の11月20日に、女性の水死体を発見。
亡くなっていたのは産廃処理会社の会長宅の家政婦とわかり、捜査が始まりました。
会長宅はオートロックで外部から無理矢理に侵入した形跡はなく、家政婦と面識のある人物が犯人であるとして捜査開始。
事件前にも2度、会長宅が荒らされたり現金の盗まれる事件が発生していたため、当初から犯行は産廃処理会社の社員とみられていました。
捜査中「事件現場の犯行時間帯に、大柄な男が女性を黒っぽい車で運ぶ姿を見かけた」という目撃証言を入手。
「大柄な男」「黒っぽい車」という条件に、小川博が該当しました。
小川博が借金を抱えていることが判明。
小川博の車の中から被害者の結婚が発見されたことが決め手となり、2004年12月21日に逮捕されました。
まとめ
今回の記事では「小川博の嫁と子供は?現在と生い立ち、残酷な事件の概要とは」として、小川博についてまとめました。
小川博は2回の結婚をして、子供は3人。
1人目の妻とは小川博の浮気などが原因で離婚し、慰謝料は数百万との情報がありました。
2人目の妻とは2004年強盗殺人事件の後に離婚し、子供への手紙も拒絶しているといいます。
小川博の豪遊生活のため2003年に自己破産。
産業廃棄物の会社に勤めても豪遊生活が直らず、借金癖は治らなかったとのこと。
利子3万円を返済するために、家政婦を気絶させて川に投げ入れました。
強奪した175万円はほとんどギャンブルで消えたと言われています。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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